2013年09月23日

一斉ワーク御礼とご報告(田代)

一斉ワークご報告 『田代なみ』

この度は『今の自分を超える一斉ワーク』にご参加くださり、本当にありがとうございました。遅くなりましたが、私、田代なみの側からのご報告をさせていただきます。

当日に向けて、揺らめく自分と大地のように動じない自分を時折感じながら、私の内側での準備を勧めてまいりました。

普段はあまり意識することの無い、私を見守ってくださっている方々の存在を時折感じながら、いかににのびのび私らしく過ごせるかの模索が、開始前からすでに始まっているようでした。

私自身も受け取り手として、ガッツリワークにお申込みさせていただいていたこともあり、施術側としての自分の中での『超えて行く』部分、そして、ワークを受け取る側としての『超えて行く部分』とが、幾重にも重なりあって、私の中で響きあってゆきました。私がワークを受け取る側として感じた変化は『差異に向かって心を開いてゆくこと』として私のブログの中でまとめています。

一番心に残ったのはワーク最終日の出来事でした。

ワーク最終日、数日間ご一緒させていただいただけでしたのに、すでに私の中に『別れがたい』という思いが時折よぎっておりました。もしかしたらですが、繊細が解放されつつある私が、皆様の思い、もしくは秘めたる思いを、いつも以上にエンパスしてしまっていたのかもしれません。

メーヴェに乗り込むナウシカのように、『まだ時間内、契約内、お手伝いできることがあるかもしれない。』そんな思いで自らの内側を内省しに出かけた自分自身がいたようでした。

ワークという枠組みの中でのお手伝い、というバンダリを越えてはいけないし、冷静に愛を持って見守ることもできたはずなのに、その時の私は内なる思いに突き動かされるように、何かできることがないかと探すことに必死でした。

皆様の思いを組んでお手伝いをするというより、自分の中にある未成熟な思いが、次々と湧いて来ていたのかもしれません。

グラウンディング終了後、ふと気が付くと、気持ちも身体もすっと楽になっていました。サポート期間の終了後は、皆様のお姿をより落ち着いた場所から、愛を持って拝見できるようになりました。

あの時、私自身を翻弄したものは何だったのだろうと今でも不思議に思うことがあります。誰かの何かに翻弄されたというよりも、自分の中の未熟さ、不完全さ、自信の無さ、傲慢さ、そして、なにより、『そんな感情を持ってはいけない、感じてはいけない』と自らを理想像に当てはめてゆこうとする私の中の思いが一番声高に、私自身を苦しめていたようでした。

感情やトラウマを含めた異物除去を得意とする私は、一対一のクライアントさんとのワークの間、沢山の感情に出会います。それらに出会えることへ穏やかな感謝の念だけが湧いてくる自分自身をときに、感情が摩耗してしまっているのではないかといぶかっていた時期もありました。ワーク最終日、胸に切なさを抱える私を慰めるかのようにやってきたメッセージは、『そうやって翻弄される姿がどなたかの癒しにつながるかもしれないね。』というものでした。

私の中の不動の部分は、嵐の中の小舟のような私自身を愛を持って見守ってくれていた、そんな思いもしています。

そして、もう日常の中ではあまり意識する場面が少なくなっていた私の中の二原論が、こんなにも私の心の中で声高に『正しさ』を主張していること、それによって、私が感じている感情の一部が圧殺されて押し込められてしまっていることに改めて気が付くことが出来ました。私の中の未熟さをより細やかに見つめて、より感じたままを自由に受け止めることが出来るように、これからも自らに癒しを届けてゆこうと思っています。

今回、ご縁をいただいた皆様お一人お一人の中に、素晴らしい輝きとこれからの可能性を拝見させていただきました。今の私にできる精一杯のお手伝いをさせていただいたつもりです。今回エネルギーワークを通して、皆様と交流させていただいたこと、改めて感謝するとともに、皆様方が、これからの人生を喜びと共に歩まれてゆかれることを心よりご祈念申し上げます。
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長文を最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
posted by トリニティ at 21:14| レポート | 更新情報をチェックする
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